「神田まで歩きませんか。」
爆弾低気圧一過の晴れ間に、役員からの提案があり、
期せずして神保町から神田駅まで歩くことに。
神田は、僕が金融機関に勤務をしていたときの営業テリトリーで、
自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の声で会話した街。
2ヵ店目の勤務で歳は27~33までをこの街で過ごしたのですが、
支店勤務の当時、僕の仕事はこの街の経営者の方々の御用聞きでした。
ちょうど昭和通りと外堀通りの間を秋葉原から日本橋までが、
概ね支店の管轄で、とにかくこのエリアを歩きました。
とにかく無駄歩きをして、犬も歩けば棒にあたるを実践するのです。
球技でもオフザボールの動きが重要なように、営業の仕事もまさにそうで、
契約や交渉事でないときでも絶えず動き、
非効率的だと上司に指摘されてもなお、お客様の顔を拝見しに伺います。
そんな「犬」を一回りも二回りも年上の経営者の方々は優しく迎えてくださります。
経営者の方々の冒険の話は、僕にとっては垂涎の的、ただただ話に夢中になります。
そして、ときどきご褒美のように会社のニーズを教えてくれます。
ご存知の通り、大きな組織の中では自分一人では何一つ意思決定できません。
決裁者の判断を仰ぐために中間管理職の同意をとりつけ、
一担当者は、なんとかお客様のニーズに応えていきます。
飼い主に褒められたい一心で社内を説得するわけなのですが、
このようなケースで、金融機関に勤めて融資担当した人なら一度は感じるのが、
「どっちが味方なのだろう?」というジレンマです。
つまり、資金需要のあるクライアントと、
それを案件化しようとする担当者に対して抑制しようとする審査部または上司陣、
どちらが自分の味方なのだろうと思う局面に出くわします。
当然、自分は三方良を試みて、属する組織のために仕事しているのですが、
上司陣はリスク管理の観点から稟議書の重箱の隅をつつき、審査が進みません。
おかしなことに、社外のクライアントとともに審査の進捗に一喜一憂するのです。
2001年のアメリカ同時多発テロのときも、この街で働いていました。
外為部門が忙しくなり、海外送金にいろいろと規制ができたのも記憶に新しいです。
「アルカイダ」という文字が記載されているアプリケーションによる送金は、
本部の確認をとる必要があるような旨のマニュアルが発牒され、首を傾げたり、
当時、家にテレビがなかったため、ツインタワーに旅客機が突入する衝撃的映像を
食堂のテレビで釘付けになってみたりしていました。
その翌年、そのニューヨークから赴任してきた新しい支店長が、
労働基準法などマル無視で、始業前からブレックファストミーティングを開催したり、
元財務官僚で「ミスター円」と呼ばれる榊原氏と会わせてくださったり、
実にユニークな店舗運営をしていたこと。
支店長車の中でアメリカの話を聞き、漠然とした憧れを抱いたこと。
八神純子のパープルタウンで、タンバリンをたたき続けたこと。
文字通り走馬灯のように、良いことも悪いことも、記憶がよみがえります。
目をつぶっても歩ける。
と言っても過言ではないこの街です。
カレーを食べるなら、そばを啜るなら、鰻を頬張るなら、珈琲一杯でさぼるなら。
10年前と変わらない取引先の看板を横目に、
いつの間にか、本社ビルがマンションに変わってしまった取引先の敷地を横目に、
赴任した日に歓迎会をしてくれた花の舞を横目に、
いつしか足取りが早くなり、熱いものがこみ上げてくるのでした。
とにかく一所懸命で必死だった日々が、僕の中に少しずつ何かを残してくれたことは、
間違いないのでしょう。自分が演じてきたドラマを見て感動するのですから。
ふと、当時の店舗の運営理念を思い出しました。
“Attitude is everything.”
「行動意欲がすべてだ。」とでも訳せばよいでしょうか。
すべては己の行動意欲からスタートするといった趣旨のコトバです。
会社の規模や業務の内容や職種にかかわらず、皆頑張っているのです。
大きな組織に属していたあの日の僕も、そこを飛び出した今の僕も。
もっとギラギラできるはずです。
また、あの日の意欲を持たなければ、道を進めません。
さあ、元気だしていこう。